光と空

日常での出来事や思った事、感じた事を綴っていきます。

東日本大震災から9年、決して忘れないあの日。

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見えますか、聞こえますか愛する人よ。

 

東日本大震災から今日で9年となりました

現在死者・行方不明者・震災関連死を合わせて22000人

今も尚避難生活をされている方が48000人。

 

もう9年なのか、それともまだ9年なのか。

 

北海道から関東に至るまでの太平洋側全域

そしてその他の地域においても

この震災は甚大な被害をもたらしました。

 

その中でも特に岩手、宮城、福島の太平洋沿岸部はほぼ壊滅。

 

大津波・火災・福島原発事故。

 

普段は穏やかな海、その海で遊びその海を眺めその海で商売をし

それがいざ牙をむいた時、我々はひとたまりもない

本当に無力無念です。

 

あの日私の家族もあまりの揺れに外に逃げ出した

家や小屋が横にグラングラン揺れる光景には倒壊を覚悟した

秋田は震度5であったが、とにかく揺れが長かった

もしこれが震度6だったら完全に倒壊してただろう。

 

すぐに電気が止まった

「母さん、水道も止まるど、そごのポリタンクさ今のうぢ水いれどげ」

母に家の用を託し、すぐに買い物に行った

スーパーの中は真っ暗、レジは動かない、店員は電卓計算に追われた

家に帰り石油ストーブを出し暖をとった。

 

テレビは見れない、ラジオを頼りに情報を得る

とんでもない事が起きたのは実感している

夜はろうそくの明かりが頼りだった、まだまだ小雪の舞う寒い時期だった。

 

1日半くらい待ったか、電気が復旧した

家族みんなで喜んだのを覚えている

そしてテレビをつけて目の前に映し出された地獄絵図

見ていて膝から崩れ落ちた

全てをのみこんでいた津波、涙が止まらなかった

 

到達高15mとも言われた大津波が東京電力福島第一原発を直撃

放射能が大量に拡散、住み慣れた地域からわずか1日の出来事で離れなければいけない現実。

 

被災された方は誰しも思ったろう、夢なら覚めてくれと。

 

昨日の朝ラジオを聞いていた

岩手の陸前高田に住むお母さん、なんとかワカメ漁をされているようだ

そこにお手伝いで来てくれる県外の若い方

けどコロナの影響で今回は来れないとの事だった

まるで遠くにいる自分の子供達が帰ってきてくれる

そのような思いを抱いてたであろう、ラジオから涙声なのは聞き取れた。

 

日本人の優しさ、我慢強さ、災害大国とはいえこんなに良い国はない

復興においても着実に進んでいる、面積が広大だからそりゃ時間もかかる

一歩一歩前を向き頑張っていく、そうやって日本は発展してきたんだ。

 

あの日の事は忘れない

そしてあの日に受けた痛み苦しみ悲しみ、被災された方々と今日は同じ気持ちになりたい。

 

一瞬にして奪われた命、さぞ無念だったでしょう

もっと生きるはずだったのに、もっとやりたい事だってあったはずなのに。

 

もうな、やばいな、人の気持ちになってたら書いてて涙が止まらなくて。

 

今日の気持ち、多くの方も同じ気持ちだと思う

それは悲しみじゃなくて、忘れないよ、ずっとあなたの事を想っているよ、時間がかかるかもしれないけど、いつかそっちに行くからねって。

 

日本人の優しい気持ちが空への手紙として届きますように。

 

令和2年3月11日、午後14:46分

 

黙祷。

 

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